珈琲を淹れながら、ふと思う。資格証が、引き出しの中に並んでいる。理学療法士。社会福祉士。ケアマネジャー。FP3級。福祉住環境コーディネーター2級。壁に飾るわけでもなく、誰かに見せびらかすわけでもなく。ただ、そこにある。
「資格を持って、結局何になるんだろう」と思い始めたのは、いつからだろう。現場で18年、体を使い続けてきた。リハビリの現場で、老健の相談員室で、家族会議の席で、退院前のカンファレンスで。資格は、確かに扉を開けてくれた気がする。でも扉の向こうに何があるかは、資格には書いていなかった。
数年、悩んだ。学び続けることに意味はあるのか、と。FPの勉強をしながら「これは誰のためだ」と思った夜もあったし、福祉住環境コーディネーターのテキストを開きながら「現場でどう使うんだ」と迷った朝もあった。資格は増えた。でも、自分が何者かは、なかなか見えてこなかった。
転機は、小さなことだったかもしれない。noteに書いた記事に、見知らぬ誰かが「投稿楽しみにしています」とコメントをくれたとき。それだけだった。大したことじゃないと思う人もいるかもしれない。でも、その一言が、なんだかじんわりと響いた。「あ、届いているんだ」と。資格が役に立ったのかどうか、正直まだよくわからない。ただ、続けてきたことが、誰かの目に留まっていたのかもしれない。そう思ったら、少しだけ、前に進める気がした。

持っているものを、使ってみようと思った。理学療法士として見てきた「体の変化」を言葉にできるかもしれない。社会福祉士として聞いてきた「家族の本音」を代弁できるかもしれない。ケアマネとして知っている「制度の使い方」を届けられるかもしれない。FPとして学んだ「お金の不安」を少しほぐせるかもしれない。福祉住環境コーディネーターとして見てきた「住まいと介護の接点」を語れるかもしれない。一つひとつは取るに足らないことかもしれないけれど、組み合わさったとき、誰かの「そうだったのか」に、なれたらいいなと思っている。
学び続ける姿勢は、忘れずにいたい。資格は、ゴールじゃなかったのかもしれない。学び続けるための、切符だったのかもしれない。切符を集めることが目的になりかけたとき、現場が「そうじゃないよ」とそっと教えてくれた気がする。切符は、使うためにある。学んだことは、誰かに届けるためにある。そう思うようにしている。
このブログ「ポケットから始まる介護」を書き始めたのも、そういうことだと思う。難しい言葉を並べたいわけじゃない。資格を誇示したいわけじゃない。ただ、珈琲一杯分の時間に「そうだったのか」と腑に落ちてもらえたら。明日から一つだけ、動いてもらえたら。1人でも多くの方に届くように、引き出しの中の資格証たちが誰かの生活を少しだけ楽にする日が来るといいなと思いながら、書き続けていこうと思う。
珈琲が、少し冷めた。もう一杯、淹れよう。
メガネ

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