施設から電話がきて、「お母さまが転倒されました」と告げられた。
その瞬間は頭が真っ白で、切ってしばらくしてから、じわじわと怒りが湧いてきた——という方に向けて書いています。
「預けたのに、なぜ」「見ていてくれなかったのか」。そう思うのは、当たり前のことです。安心して任せられると思ったから預けたのに、その前提が揺らいだのですから、怒りが出るほうがむしろ自然です。まず、そこを否定しないでほしいと思っています。
私は理学療法士として現場に18年いて、いまは老健(介護老人保健施設)の支援相談員をしています。

私は理学療法士として現場に18年いて、いまは老健(介護老人保健施設)の支援相談員をしています。
転倒の連絡を入れる側であり、転倒を減らすリハビリを組み立てる側でもあります。その両方の立場から言えるのは、「事故ですから仕方ありません」で片づけていい話ではないということです。
施設には、なぜ転んだのかを説明する責任があります。同時に、転倒をゼロにはできない理由もあります。どちらか一方だけを書くと嘘になるので、両方を正直に書きます。
面会に行ったら、母の顔にあざがあった——なおみさんの話
なおみさん(仮名・56歳)のお母さんは、大腿骨を骨折した後のリハビリ目的で老健に入所していました。
ある土曜日、面会に行くと、お母さんの左のほおに青いあざがありました。「どうしたの」と聞いても、「わからない」と首をかしげるばかりです。
職員に尋ねると、「木曜の夜に居室で転倒されました。受診して骨に異常はありませんでした」との説明。留守番電話は入っていましたが、「転倒されましたが、大事ありません」という短いものでした。
帰りの車の中で、なおみさんは涙が出てきたそうです。そして次に湧いてきたのは、怒りでした。「なぜ、あざを見て初めて知ることになるのか」——そして、「そもそも、なぜ転んだのか」。
後日、なおみさんは施設に「事故報告書の内容を教えてほしい」と伝えました。そこには、木曜22時40分、居室のベッドサイドで床に座り込んでいるところを発見、本人は「トイレに行こうと思った」と話した、とありました。
それを読んで、なおみさんは思い出しました。お母さんは自宅にいたころから、夜中に2〜3回トイレに起きる人だったのです。そして、そのことを施設には伝えていませんでした。
なおみさんが悪いという話ではありません。聞き取っていなかった施設の側にも課題があります。ただ、この一つの情報があれば、夜間の見回りの組み方は変わっていたかもしれない——そう感じたケースでした。
転倒はゼロにできない——理学療法士としての本音
ここからは、リハビリ職としての話をします。転倒は、ゼロにはできません。自治体に報告される介護施設の事故のうち、転倒・転落・滑落が最も多く、報告件数のおよそ6〜7割を占めるという集計もあります。どの施設でも起きています。
動きを止めれば転倒は減る。でも、歩けなくなる
転倒を減らすだけなら、実は方法があります。動かなければいいのです。
起きる回数を減らす。歩く場面を車いすに替える。トイレをおむつにする。行動を制限すれば、数字の上では転倒はきれいに減ります。
でも、その先に何が起きるか。使わない足は、驚くほど早く弱ります。高齢の方では、ベッドで安静にしているだけで筋力が1週間に1〜2割落ちるとされ、2週間も寝ていれば自力で立ち上がれなくなることもあります。
つまり「転ばせない」と「歩けるままでいる」は、ある程度トレードオフ(あちらを立てればこちらが立たない関係)にあります。私たちは毎日この天秤の上で、「もう少し歩いてもらいたい」と「今日は疲れているから控えよう」の間を迷いながら決めています。



「一度も転ばせなかった」施設と、「よく歩けるようになった」施設。この二つを同時に成り立たせるのは、思っているよりずっと難しいことです。
それでも、「防げた転倒」はある
ただし、いまの話を免罪符にするつもりはありません。転倒には、防ぎきれないものと、防げたはずのものがあります。
・防ぎきれない転倒:夜間に一人で立ち上がった、めまいで崩れたなど、予測しづらい動きから起きたもの
・防げた転倒:ナースコールが届かない位置にあった、履き慣れない靴で歩いた、直前に転びかけていたのに対策が取られていなかった
・判断が分かれる転倒:リスクは把握したうえで、本人の「自分で行きたい」を尊重した結果のもの
ご家族が知りたいのは、まさにここだと思います。どちらだったのかを説明できない施設は、そこが弱点です。「気をつけます」「申し訳ありません」だけで終わる説明は、次につながりません。
事故報告書には、何が書かれているのか


施設で事故が起きると事故報告書が作られ、一定の条件を満たす事故は市区町村にも報告されます。家族は、この報告書の内容を説明してもらえます。「見せてほしい」と伝えることは、クレームではありません。
家族が見ておくとよい5つの点
・① いつ — 日付だけでなく時刻。夜間か日中かで意味が変わります
・② どこで — 居室・トイレ・廊下・浴室。場所によって対策が変わります
・③ どんな状況で — 「発見」か「目撃」か。発見なら、その瞬間は誰も見ていなかったということです
・④ その後の対応 — 受診したか、いつ誰が家族に連絡したか
・⑤ 再発防止策 — ここが最も大事。具体的に書かれているかどうか
とくに⑤です。「見守りを強化する」としか書かれていない報告書を、何度も見てきました。「強化する」は、具体策ではありません。
「21時と1時の巡回時に声をかけ、トイレ誘導を試みる」「離床センサーを設置する」——このくらい具体的なら、その施設は本気で考えています。



【報告書について聞くときの一言】「責めたいわけではないんです。同じことが起きないように、状況をもう少し詳しく教えてもらえますか」
施設は、転倒のあとに何をしているか
施設側の手順を知っておくと、質問の的が絞れます。
・① 観察と受診の判断 — 頭を打っていないか、痛みや変形がないか。看護師が確認し、医師の指示で受診します
・② 家族への連絡 — 受診が必要ならすぐ、軽微に見えるときも当日から翌日に連絡するのが一般的です
・③ 記録 — 発見時刻、状況、血圧や脈、行った処置を残します
・④ カンファレンス(多職種での話し合い) — 相談員・看護師・介護職・リハビリ職で原因と対策を検討します
・⑤ ケアプランの見直し — 必要ならリハビリ内容、見守り体制、福祉用具を変更します
私が気にしているのは、④のカンファレンスにリハビリ職が入っているかです。転倒は「本人の不注意」ではなく、多くの場合「体の状態」と「環境」の問題だからです。ふらつきは薬の影響ではないか、立ち上がり方がこの2週間で変わっていないか——介護職だけで判断するのは難しい領域です。
高齢の方は、頭を打った直後は元気でも、数週間後に症状が出ることがあります。その説明があったかどうかも、見ておきたいところです。
責める以外の関わり方——家族しか持っていない情報がある
施設が知っているのは、入所してからの親御さんだけです。その前の何十年かを知っているのは、ご家族だけ。そしてその情報が、再発防止に驚くほど効きます。
・家ではどんな場面で転んでいたか(廊下・玄関・浴室・夜のトイレ)
・夜、何回トイレに起きていたか。起きやすい時間帯はいつか
・履き慣れている靴はどれか。持ち込んだ靴は本人に合っているか
・立ち上がるときにつかまる癖(テーブル・壁・手すり)
・「大丈夫」と言って人を呼ばない性格かどうか
なかでも夜のトイレの回数と時間帯は、夜間の巡回時間を組み直す根拠になります。



【情報を渡すときの一言】「家にいたころ、夜中に2回ほどトイレに起きていました。参考になれば、使ってください」
靴も見落とされがちです。かかとのないスリッパは、つまずきの原因になりやすいです。かかとを覆って甲をとめられる靴に替えるだけで、歩き方が変わることがあります。
説明に納得できないときは
説明を聞いても納得できないことはあると思います。それは、あなたの感覚がおかしいからではありません。段階を踏んで相談できる先があります。
・① 施設の支援相談員・生活相談員 — まずはここ。日時を決めて話す場を作ってもらう
・② 施設長・管理者 — 相談員との話で解決しないとき
・③ 担当のケアマネジャー — 施設の外の立場から間に入ってもらえる
・④ 市区町村の介護保険担当課 — 事故報告が上がっているかを確認できる
・⑤ 国民健康保険団体連合会(国保連)の苦情相談窓口
話し合いの場を正式に設けてもらうと、施設側も記録を揃えて臨みます。廊下での立ち話より、はるかに具体的な話ができます。



【話し合いを申し込むときの一言】「経緯を伺いたいので、一度お時間をいただけませんか。相談員さんと、できれば看護師さんにも同席してもらえると助かります」
それでも、怒りは残っていい
この記事を読んでも、怒りが消えないかもしれません。それでいいと思っています。消さなくていいものです。
ただ、その向け先を「誰のせいか」から「次にどうするか」へ少しずらせたとき、施設と家族は同じ側に立てます。私が現場で「このご家族と一緒にやれている」と感じるのは、たいていそういう瞬間です。



転倒の連絡を入れるとき、私たちも怖いです。それでも、先延ばしにする施設より、その日のうちに正直に話す施設のほうが、あとで信頼されると思っています。
まとめ
・「預けたのに、なぜ」と思うのは自然なこと。その気持ちを否定しなくていい
・転倒はゼロにできない。動きを止めれば減るが、その分だけ歩けなくなる
・それでも「防げた転倒」はある。説明できるかどうかが施設の分かれ目
・事故報告書は「いつ・どこで・どんな状況で・その後の対応・再発防止策」を見る
・家での転び方、夜のトイレ、靴の癖——家族しか持たない情報が再発防止に効く
・納得できないときは、相談員→施設長→ケアマネ→市区町村→国保連という道がある



珈琲一杯分の時間、お付き合いいただきありがとうございました。
メガネ
関連記事として、以下もよかったらどうぞ。




よくある質問


Q. 施設で親が転倒したら、事故報告書は見せてもらえますか?
多くの施設では、求めがあれば写しの交付か口頭での説明に応じています。「再発防止のために状況を知りたい」と伝えると、話がスムーズです。
Q. 転倒でけがをしたとき、治療費は施設が負担してくれますか?
施設側の安全配慮義務違反が認められる場合は、施設が加入する賠償責任保険で対応されることがあります。防ぎきれない転倒と判断されれば自己負担です。判断が難しいときは、ケアマネジャーや市区町村に相談する選択肢もあります。
Q. 心配なので、ベッド柵で動けないようにしてもらえますか?
身体拘束は原則として認められておらず、柵で囲うことも拘束にあたる可能性があります。離床センサー、ベッドの高さ調整、夜間の巡回時間の見直しなど、代わりの方法を相談員に相談してみてください。
出典・参考
- 厚生労働省「介護保険施設等における事故の報告様式等について」(令和3年3月)
- 厚生労働省「身体拘束ゼロへの手引き」
- 東京都福祉局「福祉サービス等における事故報告書 集計結果」
※制度・数値は令和6年度介護報酬改定時点の情報です。事故報告の取り扱いは自治体により運用が異なります。最新情報は市区町村にご確認ください。
最終更新日:2026年9月






コメント